園での生活を見てみよう!

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園での生活を見てみよう!

園長だより「好奇心から知性を育む」

全日本私立幼稚園連合会が発行している冊子「私幼時報」に、心理学者の先生が投稿された標記タイトル
の話が、大変興味深く、子育ての参考になると思いましたので、長くなりますがそのままご紹介します。

ひとは、大人になるにつれて失っていくものがあります。聞きなれない言葉ですが、それは「原始的好奇心」
というものです。どういうものかといいますと「理由なくとにかく湧き出てきて仕方がない興味」のこと。
幼稚園くらいの年齢の子どもたちは、大人からみると、これに関しては偉大な先生です。
例えば、お母さんのスマホやエプロンをかじったり舐めたりしては、いつまでも手放そうとはしません。
あきれるほど何回も同じ絵を描いては、「先生見て!」とすがります。全身泥んこになりながら、何だか必死
の形相で、土を掘っては埋めていきます。こういう力は、まさに「理由なく」湧き出てくる興味のなせるわざ、
「原初的好奇心」です。

子どもたちは、「これはムダな情報」「これはいらない行動」といった、大人のような分け隔てはしません。
目に入る全てのことを心に吸い込もうとします。大人から見ると、「もう、なんでそんな事をするの!」と
理解出来ないことだらけ、危ないことも多いし、ストレスも溜まってきます。無意識のうちに大人は、
こういった子どもの「原始的好奇心」をつぶすことに必死になって毎日を送っています。その結果、
子どもが7歳くらいになる頃には、見事に大人がその戦いに勝利します。つまり、「別に興味がない」
「それって、意味があるの?」が口癖の無気力な若者へと、次第に変身し始めるわけです。

「いいからやめなさい」と毎日頭ごなしに言われることで、子どもたちは「そうか、自分は無関心でいれば
OKなんだ」という考え癖を覚えてしまいます。 反対に、「原始的好奇心」が満たされた子どもは次の
ステップ、つまり「知的好奇心」という高い発展段階に進めることが、発達心理学で実証されています。
理由なく湧き出てくる「原初的好奇心」を大人から消されるのではなく、支えられてはじめて「それは何故か?」
「どう調べたらわかるのか?」という、理由を探す高度な好奇心が芽生えます。それが「種」となって、
伸びやかに「知性」が育まれ、内面の豊かな少年少女へと成長していけるのです。

「原始的好奇心を満たす」。難しく聞こえるかもしれませんが、養育者の役割として重要なことは、
ただ一つです。それは、子どもの抱く興味に対し一言でもいいから「肯定的な共感」を口に出してみせる
こと。つまり、叱ったり指導したりする前に、一度は「あらら、泥んこになるほど楽しかったんだ!」と、
子どもの感情を代弁してあげるということです。極例ですが、たとえライターを危なくいじっていたとしても、
「面白いの?」とやはり一度は感情に沿うことが大切です。 その上で、ダメなことはダメなのだと、
しっかり指導してあげてください。子どもの心には叱られた悲しさだけでなく、共感してもらった「温かさ」
が残ります。養育者の言葉が、しっかり心に入るのです。

以下、私の感想です。大人の物差しで幼児期の子ども興味の度合いは測れないことは、理解出来ると思いますが、
日々の暮らし中では、常に心に余裕を持って接することはなかなか難しいですね。子どもの意志を一番に尊重し
しながら、ダメなことはダメとはっきりと言い、必ず同時にその理由もしっかり伝えることに尽きるように
思います。また、この大切な道理を何度も自分の心に言い聞かせることしかないですね。